■ハナムケ~a fond farewell~■

西の空が茜色に染まる夕間暮れ。
先を急ぐ遊戯の足は自宅とは反対の方角に向かっていた。
その姿を後ろから見つめている「もう一人の遊戯」だったアテム。
過去形なのは、彼が記憶を取り戻し本当の名前を手に入れたからだ。
それでも、遊戯はまだ彼を『もう一人のボク』と呼ぶ。
そう呼ばせて欲しいと言った遊戯の気持ちを、アテムはずっと考えていた。

「相棒。何をそんなに急いでいるんだ?」
「ちょっと行きたいところがあるんだ」
「行きたいところ? ……カードの発売日じゃなかったよな?」
「えへへ。知りたい?」

もったいぶった遊戯の顔を見て「何かある」とはすぐに察しがつく。
ただ、それが「何」なのかはわからない。
目の前の遊戯がすこぶるご機嫌なことから、悪い事ではないだろうとアテムは思った。

「実はね、埠頭の傍に観覧車が出来たんだよ!」
「カンランシャ……?」
「もう一人のボクは乗ったこと無いよね? 童実野町を見渡せるんだぜ!」
「へぇ~。相棒が行きたいって言うなら付き合うぜ」
「ホント? じゃ、決まりだ。急ごう、もう一人のボク!」
「おい、相棒?」

そんなに急がなくても――、言いかけて止めた。
今日の遊戯はやけにはしゃいでいる。
その事が、逆にアテムの心をざわつかせた。
エジプト行きまで、日が無かった。
この先どうなるのか、何が起こるのか、自分達にはまったくわからない。
どちらが言い出すわけでもなく、この件には触れなくなっていた。
話してしまったら、いやおう無く現実に引き戻されてしまう。カードや学校の事、他愛のない話を二人でできる事が何より大切で嬉しかった。

「着いた! 思ったより近いとこに出来たんだね。あれに乗るんだよッ」
「結構デカイんだな」

二人は、暮れ行く空に浮かんだ大きな観覧車を見上げた。
入り口でチケットを買い、遊戯に連れられてゴンドラに乗り込む。
――とは言ってもアテムの姿が他人に見えるわけではないのだから、傍目には一人で乗っているようにしか見えない。
もちろん料金も一人分で済むし、サイフに優しいデートだ。

「ほら、ウチってあの辺かな?」
「海馬のビルが向こうに見えるから、大体合ってそうだぜ」
「見て見て。向こうはもう夜景なのに、こっちはまだ夕陽が出てる!」
「あぁ、面白いな」

観覧車自体を知らないアテムは、満更でもない様子で暮れていく景色を眺めていた。
だが、今日の一番は遊戯の楽しそうな顔だとアテムは思った。
見つめる自分が穏やかな表情をしている事に、アテム自身は気付かない。

「考えてみたら、キミとゆっくり過ごした事無いし、キミの街でもある童実野町を憶えていて欲しいって思ったんだ」
「……相棒」
「この先、何が起きても……ボクは忘れない。キミと一緒にいた時間を……」
「オレも忘れないぜ」

静かな時間が流れた。
具体的に示したら、ほんの数分、数十秒かもしれない。
それでも、二人には十分な時間だ。
張り付くように窓の外を眺めている遊戯の背後にアテムが立つ。

「ねぇ、ほら。もうすぐ一番上だよ!結構高いトコまで上がるんだね。空に浮かんでるみたいだ」
「相棒」
「うん?」

振り返った視界の先、至近距離にアテムの顔があった。
その近さに、遊戯はドキッとする。

「もう一人のボク……?」

アテムの前髪がふわりと揺れ、遊戯の顔に影を落とす。
その無防備な口元に唇が触れる。
実体の無いアテムに、心の部屋以外で触れることは適わない。
今まで何度も、二人はその事実に胸を締め付けられた。
けれど、今、たしかに――
遊戯がそれを理解するまで、ほんの少しだけ時間が必要だった。

「え……?」

驚いてアテムの顔を見つめる。
彼は答えない。
自分に起きたことを確認するように、遊戯は自らの指で唇に触れてみる。
こんなところでキスされるとは思っていなかったけれど、それよりも『そういう事ができる』と言う事実に驚いていた。
ふと、底知れない不安が胸の中に渦巻く。
時間は無限ではない。
自分達に許された束の間の安息は、もう終るのではないか。

「相棒。話しておきたい事があるんだ」

心許無い表情を浮かべる遊戯を気遣うように、アテムが切り出した。
二人を乗せた観覧車は、怖いくらい静かだ。

「オレは、お前が好きだ。仲間だとか器だからとか、そんな意味じゃないぜ?一人の人間として、特別に思っている」
「もう一人のボク……」
「返事は要らない。ただ言っておきたかった。それだけだ」

言うだけ言って、アテムは窓の外に視線を向けるとシートに腰を下ろした。

「ボクも――、ボクも同じだよ。キミはボクにとってかけがえの無い存在だから」
「無理しなくたっていい。オレが、一方的に言ってるだけで、強要する気は無いぜ」
「ち、違うよ。ボクはそんなつもりで言ったんじゃないよ!」
「なら、ちゃんと言ってくれ。相棒の言葉で」
「え……?」

真剣なアテムの眼差しに、気恥ずかしさを感じて遊戯の頬が赤くなる。
タイミングを逃した告白と言うのは、妙に照れるものだ。
けれど、今伝えないでいつ伝えることができるだろう。
遊戯は意を決して、アテムを見つめた。

「大好きだよ、もう一人のボク。今までも、これからも……誰より、大好きだ」
「――知ってる」
「な……何それッ!」

してやったりの顔で見上げるアテムに、遊戯は益々恥ずかしくなった。
こんな時にからかうなんて、悪戯にも程があると言うものだ。

「ホンッとに、人が悪い!」

収集がつかなくなった遊戯は、アテムを責めようと両手を伸ばす。
その手は、眼前のアテムの存在をちゃんと感じ取っていた。

「すまない。でも、さっきのは本当だぜ?」
「信じられないッ、今だって顔が笑ってるじゃん!」
「……これは、嬉しいからだ」

アテムが遊戯の両手を封じる。
こうなってしまっては、もう遊戯には抵抗できない。

「じゃ、信じるから……ボクのお願い聞いてくれる?」
「相棒のお願い? ――なんだか、怖いな」
「嫌なの?」
「わかった。言うとおりにするから、お手柔らかに頼むぜ」
「目、瞑って」

どんな無茶な要求が飛び出すかと思ったが、他愛もないお願いにアテムは快く目を瞑った。
遊戯の気配が近づく。
見えないというのは、案外もどかしい。
そんな事を考えていた矢先、遊戯の指先がアテムの唇を押した。

「相棒?」
「キス、すると思った?」
「してくれないのか?」
「しないよ。するわけない」
「まぁ、期待はしてなかったぜ。さしずめ、さっきの仕返しってとこか」

苦笑しながら、アテムが薄目を開ける。

「あ、ダメだって! まだいいって言ってないよ」

温かな掌が視界を塞ぐ。
アテムが遊戯の重さを感じ取った瞬間、柔らかな感触が唇に落ちた。

「これで、あいこだね」

目を開けたアテムの視界に、遊戯の屈託の無い笑顔が飛び込んできた。

「もう、お仕舞いなのか?」
「え?」
「そんなんじゃ、足りないぜ、相棒」

下降を始めたゴンドラが、風でユラリと揺れる。
バランスを崩しかけた遊戯の身体をしっかりと支えて、アテムはニヤリと笑った。

「足りるとか、足りないとか、そういう問題じゃなくて……」

遊戯の言葉はそこで途切れた。
星と街の灯りが交差する夜空に、二人の影がそっと重なる。
ゴンドラが地上に着くまで、月だけがそれを見ていた。

End

実はこれ、だいぶ前にアンソロ用に作ったお話。
締め切りに間に合いそうもなくて、急きょギャグと入れ替えたんですよ。
個人誌の方(漫画)で、同内容のを描いたのですが、予定ページ数と時間が足りなくなって、中途半端な仕上がりになってしまいました。(バカだな)
で、一年前のスパコミ(たしか)で、フリーペーパーにして少数配布しました。

サブタイトルの意味は「優しい別れ(告別)」とか「名残惜しい さよなら」と言う意味を持っています。
どんなに思いあっていても、別れていく道を選択した二人の遊戯に心を締め付けられたのがW遊戯にハマッたきっかけでした。
この話の中で、何故アテムが心の部屋以外でも実体があるのかと言うのを、ぴかいちルールにて設定してます。
記憶を取り戻したことによって、もう「魂と器」の関係が維持できなくなったという無理やりな解釈です。
観覧車を使った話はどこかでカタチにしたいなぁと思った事がなんとか実現できて良かった。(無謀すぎる…)
BGMはマッキーの「てっぺんまでもうすぐ」とν[NEU]の「SAYONARA観覧車」です。
ついでにタイトルを頂いたw-inds.の「ハナムケ」もおススメです。
機会があったら聴いて見て下さい。
聴きながら読んで貰えたら、相乗効果…かも?